ドイツ観念論の創始者カントの以下のような名言があります。
“感性がなければ対象は我々に与えられないだろうし、悟性がなければいかなる対象も思惟されないだろう。直感のない概念は空虚だし、概念のない直感は盲目である。”
ーカント『純粋理性批判』より
私にはこの言葉が昨今の政治にも、また芸術分野にも言えるような気がしてなりません。このような状況の中で、今回のExhibitionの意義はどのようなものか、個人的にお話してみたいと思います。
まず、テーマの「EVOLVING」について:これはご存知のように英語の動詞Evolveからの派生語です。この語の通常的意味には「進化」以外に「展開」もあり、『大辞林』によれば:①(次々と物事を)繰り広げること。また、広げて事が行われること。があり、今回は芸術行為を掘り下げるという行為を「展開」する意図で命名されました。
もちろん物事を展開する上では、何らかの手段が必要です。さまざまな手段の中で彼等はFusion(融合)、Fission(裂開)を選択しました。このような試行は西洋史的にはヘレニズムや後のロココに繋がるバロック芸術に代表されるように既存の文化形態やスタイルの「融合」、「裂開」で、後の印象派、キュビズム、ポップ・アート等にも垣間見ることができるかも知れません。
このアーティスト集団「omnis」を率いる金子透の場合は位相空間の概念からそのFusion/Fissionのインスピレーションを得、それは彼の元に集まった今回のアーティスト達にも共通しています。位相空間は数学的に述べれば「ある構造の備わった集合」です。彼等の場合、この集合の元は「点」、「線」、「色」であります。
もちろん、彼等が最も重視するのは空間自体の創造で、この空間は具象的に見えてもそこで留まることなく、抽象的でもそこに留まることのない、いわば西田哲学の「主客未分」の、つまり「具象(物理的)・抽象(理性的・心理的)」の「融合・裂開」を意図としているようです。その到達点として、「オッカムの剃刀」と一般的に知られる「節減の原理」、もしくはフッサールの現象哲学の標語「エポケー(到達不能な不要な概念は括弧で括り無視する態度)」ごときシンプリシティー・ミニマリズムの視線で芸術の原点的領域を見つめています。具体的に述べれば、感性的・クオリアのように物理的に存在しないが「あたたかさ」等、心的対象を見つめ直し、見る人々の感性に訴えかけようとしています。
結果として彼等の作品は、パノフスキーの図象学的な手法、例えば、さまざまな宗教的イコン・シンボル・インデックスから解き明かされることはなく、同時にそのような要素からの自由を得ています。
また、コンセプチュアル・アートでもないことから、彼等の芸術理念、表現手法にはしっかりとしたコンセプトはあるものの、彼等の表現対象はこの世の不条理、資本主義社会の矛盾といったコンセプト(概念)からの自由も獲得しました。
さらに、伝統工芸のような何百年・何千年にも及ぶ実用性に裏付けられ、昇華された価値のある頼り・拠り所にする技法もない不安から、真摯に、謙虚に作品に向かう勇気・自信・真面目さも視野に見えているようです。
以上がomnisの特異性であり、彼等の現在のアートシーンでの存在意義と思えます。
これらの「芸術観・手法」、「自由」、「謙虚さ・熱意」をもってして、金子透の率いる集団がどのような作品で、どれだけ目で見えない、触れられない、概念化できない、しかし感じられるモノをみなさんの心の中に存在・想起させ、一瞬でも自己放念するという原点的芸術体験に成功するか、今から楽しみにしています。団体名:omnis(全ての意)はこの芸術体験の原点回帰の為には「できる全ての努力もいとわない」と言う彼等の決意と祈りが込められているようです。
このことは、作品の評価の全てを観る者に委ねるという無責任な相対的な態度ではなく、彼等が製作行為・製作者と鑑賞行為・鑑賞者を明確に区別しながら、芸術とは作品を通した全体的な有機的過程・相関関係との認識で活動していることはお伝えしておきます。要するに芸術とはomnisにとって、作り手の意図でも作品自体でも鑑賞者の知識や感性でもなく、それらの有機的な総体という強い認識があるように思われます。このような見方は日常的で、例えば「美味しい林檎」という表現が存在を示すのではなく、生産者の愛情・努力、その成果物としての果物、それを美味しいと味わう私達の総和的関係性であるように明白なことです。「芸術作品」という表現は単なる言語学的誤謬にすぎないというのが私の持論でもある以上、彼等の動向には今後も注視していきたいと思います。これはいわばプラトンの「イデア論」とカントの「コペルニクス的転回」を融合した立場と考え、とても興味のある進展と考えております。
最後に:歴史上、カトリック教会とローマ帝国の衰退により、ヨーロッパにおけるそれらの覇権(ヘゲモニー)が矮小化し、ルネッサンスを可能にし、主権国家の登場を許したように、インターネットに象徴される現代社会でも色々な意味で各分野での覇権に陰りが生じ、独自性の活性化が進んでいます。「omnis」もそのような活動の中で健全に「Evolve」することを願っております。
H.S.
(EVOLVING展 2017 より)